日本のどこに住みたいですか?その1

住めば都!よく聞く言葉ですが今まで住んだところを紹介したいと思います。なにぶん30年前の話もあるので違っていたらゴメンナサイ。

生まれたのは愛知県名古屋市港区という工業地帯の一角に生まれました。目の前を当時は臨港線・現在は、あおなみ線が通っていました。当時は今みたいに高架ではなく貨物ばかりの線路だったことを覚えています。少しだけ通った新設小学校には当時としては冷房完備だった事は約40年前でもすごい事であったでしょう。たまに懐かしくなっていく事もあります。親戚のおじちゃんも未だに健在なので。

少年時代を過ごしたのが愛知県豊橋市、今でも在所は豊橋にあります。自然が豊かで海まで自転車で泳ぎになんて当時はよく行きましたし、家の裏が山なので勝手に登山は当たり前で、犬の散歩も山登りはいつもの事でした。少年時代の夏休みはクワガタ採り!採ることが楽しのではなく!売りに行きコズカイ稼ぎを毎日のように行っていたのは今は良き思い出です。

現在の職種に出会ったのも豊橋ですが、その前に岡崎の話を少しだけ…免許を取得して友達の親にちょっとコイと誘われたのが運送屋さん。今ではスーパーブラックな企業でしたが何せ給料がいい!というか基本給は12万円でも手当てが35万も付いていれば若い俺達にはいい事ばかりと思っていました。睡眠時間は毎日3時間!寝る間を惜しんで働いていた事を若さならではと今思えば無謀でした。一年限りの愛知県岡崎市での一人暮らしは良き思い出です。 今の妻と出会ったのも岡崎に住んでいる頃でした。

一年の修業を終えて…勝手な解釈(笑) 豊橋で今の板金業に出会います。遊んでいるなら手伝いに来いと言われて親父について板金屋にバイトに…。2か月過ぎて社長に呼ばれて保険証と年金手帳を手渡され? 入社? 入るって言った覚えは当時もなく当時の仲井の社長・故仲井善律氏には現在は感謝しかありません。 オヤジ!岐阜で未だに頑張っています。

入社時の面接ではやりたいことを聞かれて!今の彼女との結婚と言い放ち!仕事を覚えるの先だと窘められて絶対に必要になってから辞めてやると豪語していた当時は若さではなく、馬鹿さだけでした。

親父もいる会社では、職人と若い衆という区別を周りの皆が付けてくれたために家族という枠は社内では見せません。しかし家に帰れば親父と息子なので、鋏を持って帰り端材の水切りを酔っている親父に教えを乞う事は日常茶飯事でした。

当時から負けず嫌いと集中すれば継続力は人並み以上なので覚える事には抵抗が無かったです。

楽しくなったのでこの続きはその2を準備いたします。